昭和五十四年四月十三日 朝の御理解
御理解第七十三節
「変人になれ、変人にならぬと信心は出来ぬ。変人と云うは直いことぞ」
これは教祖の神様の実感であろうと思われます。御自身がここで言われる変人でおありになったということ。それは神様の仰せには背かれぬ、ね、いわゆる仰せ通りに仕るという教祖の御信心ですからね、随分とやはり変人と云う様な見方をなされなさったと云うことであろうと思います。ね、
人が当然田圃に虫が出来ると油を入れる。神様が入れなと仰ったら「はい」と承って油をお入れにならない。ね、これだけでも教祖の神様がいわゆる変人とはそういう事だと云うことが分かります。ねえ、人が右と言えば左としゃっち言わんならんと云う変人とは違う。ね、神様の仰せには背かれぬと。これは私自身の事を思うてもそう思うです。ね、人が例え笑うてもそしっても、ね、神様から笑われてはならん。ね、そりゃ随分笑われも致しましたしね、そしりも受けましたしそれこそもう人非人とまで言われた時代がございました。ねえ、ですからそれを普通の人間的な考えでいけ、ばはぁ大坪さんなよか人正直な人と言うたかも知れませんけれどもね、信心しよってどうしたことだろうかと云う風なまそしりを受け非難を受けて参りましたけれども神様がそう言えそうしろと仰るからそうさせて頂いた。そして言うならば神様にのお言葉通りにね、神様の仰せには背かれぬと云う生き方。
私はお道の信心で言ういやここにある御教えで言われる変人とはそういう事だ。ね、そうならなければ信心は出来なかったんだ私の場合でも。いや神様そんな訳には参りません、人が悪口を言いよります、人が笑いますと言うたら私の信心は出来なかったんです。ね、私教祖の神様の御自身がそこを通って居られる。ね、例え笑われても悪口を言われてもね、まあちょいとあの人は変わった人じゃと云う風に見られたでしょう。
神様が今日は高ぶくりを履いて行けお天気のよいのに、はあもうみんな笑うただろうと思うですよね、カランコロンいわせてからお天気のよいのに高ぶくりを履いて行くから。ところが段々日にちが経ってそういう信心を貫かせて頂きよったら、今日は大坪さんが高ぶくりを履いて行きござるけん雨が降るじゃろと云う様になりました。お天気のよいのに傘を持って行けと言われるから傘を持って行くと必ず帰りにはその傘がお役に立った。ね、だからやはりちょっと変わり者じゃぁある、変人じゃぁあると言うたに違いありません。 自分の前だけを繕うと云うことがそれといわば反対であると云うことを知らなきゃいけません。ね、そこを要領良く生きて行けれる生き方も信心を抜きにすればありましょうけれどもそれでは信心は出来んのです。ね、そうしてなるほど信心さして頂く者は違うとかなるほど神様じゃなあと云うことになる。
昨日たまたま昨日は美登里会の後に祝詞の寄贈員の方達が大体原稿を作っておりましたからそれを下読みをさして頂きました。その後でどういう事からだったでしょうかここの御建築の時の話が出たんです。もうそれこそ何と申しますかねえ、ここのところの請け負って下さると云う業者の方が六、七軒もあったでしょう。もうその六、七軒の方達のその見積と云うのがもうそれこそいっしになったら一から七まででした。百円の人もありゃ七百円の人もあると云う状態でした。けども神様はその前からまん中のを取ると頂いて居りましたからまん中のを取りました。いわゆる三百五十円のを取った訳です。ね、熊本の井上さんでした。どういう事で井上さんになったのか分かりませんでしたけれども、もう今年なんかは全然載って無かったんですその何処何処の業者の方達の中に入ってなかったけれども、ほんに椛目のあのお広前が改造になった時にあのう杉の木か桧の無節の椛目のお宮のまん中に立ててある柱が一本立派な柱を一本献納されたんです。全然私は知らなかったんですけども。古屋さんの関係だったと思うんです。ね、椛目の金光様でそうした改造があるならこれ1本とわざわざ送って来たんです。ほんに熊本の業者であげながいっちょおっとならあの人も言わにゃいくまいと云うので一番最後に言ったんです。その人もま喜んでならどうでもと言うてその見積を出したんです。その人が丁度まん中に当たっとったんです。しかしあの結局真心ちゃほんとやっぱ有難いもんじゃあると思うですね。柱一本それが結局ここを建てられることになったんです。もうそん時がですもう神様の仰せだからそうさして頂いたけれどももう人間心をこのくらいでも使うたら絶対頼めれる業者じゃなかったです。段々話が進んでそこに決定して一応あちらに秋永先生以下私も含めてでしたでしょうか四、五人であちらに参りましてもう行った途端にもうびっくりしたです。もう表には古い家の材料がこうやってちっとばかり積んである。事務所と云うたら形ばかり、ちょっとお便所を借らして頂こうと云うたら便所に扉がなかった。大工さんの家でです。それも小便所じゃない大便所に扉がないとですけん、もれには私も驚いたです。もう私は帰って来る時にもう頭が痛うしてもうとにかく考えりゃ考えるほどいくら神様が仰せられてもこんな業者にしても頼んでいいだろうかと色々業績を見るとその時分に一千万より高い仕事をした事が無いと云う大工さんでしたよ。もう私はもうとにかくこれは神様から私しゃ頂き違いしとるとじゃろうと思うてね、あれを思いこれを思いしてとうとう熊本、こりゃちょいと私どっかへちょっと寄って頭を休めなきゃ椛目には帰られんよと言うたからまああっちこっち寄ったけども適当な所はなかったから結局正義先生の所へ行ってそれからもう遅うから風呂を沸かして貰うて風呂へ入って暫く正義先生の所で休んだんです。してその休んどる内にお知らせを頂いたです。それで私の腹が又尚一段とまあ決って井上さんにして成程いい業者じゃなかったけどもその時その時にはにはちゃあんとお繰合わせを頂いてここの仕事は上手がせんならん、ここの仕事はこでなきゃならんと言う様なその代わりに二年半と云う長い間かかった。おかげで今日のこの合楽教会がある、出来たんです。他の六軒なら六軒の業者に云うとったらもう絶対出来て無かったです、このお広前は。もうそりゃ七カ月か八カ月一年足らずで出来上がって仕舞うんです。材料なんかでももう段々おかげを頂いて行くたんびにね云うなら新建材なんかを使う事に沢山なっていたのが段々段々今日のような風になっていった。ここん所何かでもアコーディオンドアーがアコーディオンのあれがここにはまるごとなっとったんです。考えてみるとほんとに素晴らしい。これは私が変人振りを発揮したその現れが今日の合楽のお広前です。そりゃもうほんとに分かった人が、もう私は昨日もその事を話してからとにかく一番あちらの今私共が住まって居る方が一番口に出来たんです。もうあん時にもうとにかくたまがったです。私がた素人でも分かるです。とてもこげんとがお広前を建てきるだろうかと云うごとある状態でした。今でもそれが残っておりますけれどもこのお縁の天井をなんか結局あの今の何ですかねえ薄いベニヤの様なよいあれを桧なら桧杉なら杉の様なものが張って有る様にするあのあれを張って居ります。それが張らなきゃいかんばってんそれが全部釘で下から打ち付けちゃるです。もうだからもう何が何やらが分かるわけです。もう素人もこれだけを見てからこりゃあいかんちゅうごとあったけれども、段々この進めて参ります間にその手も揃うてしかも二年半もかかりましたけれどもこの合楽がある。これは変人に云うならばならなきゃ出来ることではないし変人になったおかげが今日のこの合楽のお広前です。ねまあそういう例を云うなら合楽では沢山あります。ね、だから変人とは直いこと。正直で素直でと言うことでしょうけれどもね、正直で素直でと云うのは人間の対の場合じゃない。ね、神様に対しての正直であり直いでなからなきゃならん、素直でなからなきゃならない。ね、目先にはどういう事でありましてもそれが御神意とあるならばそれを頂き抜かせて頂くところに云うなら信心があるのです。
信心が進むと云うことはもうどうしても人間の考えを先に出さずに神様の願いを先に立てる。ね、あれほど信心しておってどうしてああ云うことが起こるであろうかと云った様な場合であっても、昨日美登里会で色々もう真剣なお話が出ましたがね、結局今は私共の願いが成就するのではなくて神様の願いが成就しておる時として有難く受けて行けと。もう周囲から見たり聞いたりしたらもうほんとに合楽の金光様に参りよってどうしてあげなことになるじゃろうかと云う様な人の発表がございました。ね、その方の願いはひとっつも成就しよらんけれども神様の願いが成就しよる時だ。そういう時には云うならば人に笑われたりそしられたりする時ですけれども神様の仰せには背かれんと云う生き方を続けて行く限りそれこそ夢にも思わなかった様なおかげが展開して来るんです。ね、
信心を進めると云うことにはそういうところも通らなければなりません。神様のことは信心のないもので分かりません。何処へ深い思いがあるか分かりません。だから黙って付いて行く以外にない、云うならば貴方の仰せ通りに仕ると云うこの決心がついとらなきゃ出来ません。ね、それを頂いて行く過程に於いてはですほんとにまあひょっとすると信心気違いの様に言われるかも知れません。
教祖様の場合であってもそうであったろうと思います。信心のぼせでそれこそ草履を作る暇もないと云うて人が言いよります。どうぞ草履だけは履いて行って下さいと言うて奥様が仰る時でもそれをおうと言うて応えられなかった。お前がそんなに心配するごとあるならね、無精で作らんとじゃないから後ろから草履を持って付いて来いと仰る。そしてやっぱり裸足の行を貫かれた。ね、ようにね私は今日はあのう荒川ばってんとこの頃からお知らせを頂いておる、あの人はなんじゃないですか、熊本の何とか婆ばさんちゅう人の名前じゃないですか。あれじゃないですか、そうでしょうやっぱあの人の姿を頂いたんです。だからそのそこをいわゆるばってんと言うことは天を貫くと言うことだということですけれども今日の御理解を頂いて私はどう聞いて頂こうかと思いましたらそのばってんのことですからやはり貫く、どんなに人から言われても笑われても神様の仰せには背かれぬと云う貫く信心精神が要ると云うこと。そして初めてね、初めの間は人が笑うて居っても成程神様じゃなあ成程信心のおかげちゃああ云うものであろうかと言われる様なおかげを頂き抜くことが出来る。云うならば合楽理念の実証者としてのおかげを頂く為にはですやはり変人にならなければなりません。
変人とは直いこと。まっすぐいこと、ね、正直なこと。けれどもその正直と云うことは人から見る直いではなくて神様がご覧になっての直ぐさでなからなければならんと云うことを今日は聞いて貰いました。どうぞ。